精神論の風評被害

精神論何が言いたいって、精神論や根性論が乱用されすぎて風評被害を受けてるんじゃないかって事です。

よく、団塊の世代の人たちや勤め先の上司から「頑張れ」とか「根性だ」とか「死ぬ気でやれ」とか言われた人が「精神論キライ」と言っているのを見かけます。ここでいう精神論は「どんな状況でも努力や根性でなんとかなる」というもので、具体的に目の前の問題に対する解決策が無いことが嫌われる原因になっているのではないでしょうか。

また、精神論を唱える人に行動や実績が伴っていないことも問題でしょう。

そもそも精神論って何なのか。

Wikipediaを見てみたらこんな事が書いてありました。

常識的にはね返せないのが当然と見られるほどの物質的劣勢を精神力ではね返せると信じ、また信じることを推奨・強制する場合、「精神論」として批判の対象となる。

これを見たら「ああなるほど」と思った人は少なくないでしょう。しかし管理人は時々こう思うのです。

精神論という言葉そのものが風評被害を受けているのではないか。

上記のような、精神力があればなんとかなる。とにかく信じろ神様が見てるぞというのは、善意で言ってくれてる人に対しては非常に申し訳ないのですがアドバイスを出す側の思考の放棄です。また、具体的な解決方法を出さない人には「簡単に解決策を出すことで指導を受けている人に思考能力が備わらないことを避ける」という意図を持つ人も居ますので、そのことは勿論忘れてはいけません。

それではここで「精神論」をもって「思考する」とはどういう事なのか。

あくまで管理人にとっての一つの解なのですが「物事が成就することを前提としてメンタリティーを見つめなおすこと」が大切でしょう。

メンタリティーは、日本語にすると「心の在り方」や「精神の持ち方」です。これは、決して神頼みでなければジっと耐えていれば誰かが助けてくれるという他人任せでもありません。

例えば目の前に参考書があって、よほど勉強しないと名門の学校に行けないとします。

受験生がすべきことは賽銭に小銭を入れてお守りを買って神様仏様に念仏を唱える事でしょうか。もしくは、ただひたすらに勉強をして数学の公式や元素記号を頭に叩き込むことでしょうか?

人にとってはそれぞれ必要性も違うのでしょうが、受験合格の先にどんな素晴らしい未来が自分に待っているのかを考えることも大切です。

精神論はやる気を出させる存在であるべき

受験合格、企業採用、商談成立、ボーナスUP、昇給、異性との交際スタート、結婚生活、家内安全無病息災。良い家や車を買ったりお洒落な家具を家に置いたり。楽しい映画を見に行ったり美味しいものを食べたり。

幸せの形は沢山ありますよね。でも、いつの間にかそれらを忘れて、諦めて耐え忍ぶことで精一杯になっている人も同じくらい沢山居るのが今の日本の現状ではないでしょうか。

ですが、皆さんのメンタルはそれぞれの幸せにフォーカスされているべきだと思います。そうでないと精神論はただの思考を放棄した愚か者の戯言に過ぎないでしょう。「目的がない耐えるだけの人生を送れ」だなんて、そんな事言われてやる気が出る人はまあまず居ないでしょう。

頑張るなら、一人ひとりが少しでも今より良い未来を目指して、それに近づいているんだと実感しながら頑張る必要があります。
当たり前のようでいて案外忘れている人が沢山居るなあと思い、今回の記事を書きました。