ガラパゴス化

島ガラパゴス化という言葉をご存知ですか?
特定エリア内での最適化・独自進化が進み、外部から隔絶された状態のことを指し、ガラパゴス諸島に特有の生き物が生息している状態に例えて名付けられたビジネス用語です。また、強力な生存能力を持った外来種が参入すると絶滅の危機に瀕してしまう危うさも表現されています。

その島がエクアドル領の諸島であるにも関わらず、この言葉はなんと日本で生まれました。

ところで、携帯電話には主にスマートフォンとガラケーの2種類があります。スマートフォンの登場により今や若者ではなくお年寄りもAndroidやiphoneを触っている時代になりましたが、それまでの現在ガラケーと呼ばれている携帯電話はケータイと呼ばれていました。

では、従来までの機種と区別するためにこのガラケーという単語が用意されたのでしょうか。もちろん、その目的を満たすのには充分だと思います。しかしここで、管理人のいち意見ですがガラケーからガラパゴス化というビジネス用語が生まれた背景を考えると興味深い単語だなと思うのです。

ガラケーには強力な独自文化が詰め込まれていた

スマートフォンが登場する前から、日本の産業は実に沢山の携帯電話を生み出していました。今でこそあまり見かけることはありませんが、単に二つ折りのものだけでなくクルリと回転するものや、画面を90度回転させて横に表示できるもの、PCの小型のキーボードのような形をしたもの、ソーラーエネルギーで充電出来るものなどバラエティ豊かです。

そして、ハードだけでなく着メロや着うた、ワンセグ機能なども搭載されていました。私はあまり使わないのですが、これらの機能の幾つかは現在のスマートフォンでも使用できるようです。

独自文化が生まれやすい国、ニッポン

江戸時代、江戸幕府は「鎖国」をし、日本は長い間、孤立した国になりました。そうでなくても日本は島国で、陸続きの外国と比較すると独自文化が根付きやすい国なのでしょう。携帯電話に限らず日本は強い独自性がいくつもある国です。

もっとも、世界中にカルチャーショックという言葉があるように日本だけが変わり者だという訳ではありません。似ている文化があれば到底理解できない文化が至るところに存在しているという現状を踏まえると、あくまで日本は「特殊なものの1つ」です。

衰退していくガラケー

独自文化は面白く素晴らしいものなのですが、前述のように強力な外来種が参入すると、元々居た生き物は居場所を失い、絶滅の危機に瀕する危うさがあります。言い方は悪いのですがAndroidやiPhoneなどがガラケーの居場所を奪っていく様は、その危うさをよく表していると思います。

ブラックバスが自然界の生態系を破壊してしまうかのように、せっかく先人たちが積み上げた独自の文化は根こそぎ無くなってしまうのでしょうか。

外来種と共存してより良いものを生み出すという選択肢

消費者の声が本物なら、失われつつある文化の幾つかは生き残る可能性を秘めています。最近ではシャープや富士通が「ガラスマ」というスマートフォンとガラケーの性質を併せ持つ携帯電話も市場に登場しました。技術的側面ではOSのプログラムを大幅に変更したり、まだまだ課題は多いそうですし、ガラケーとは別物だという人も少なくないでしょう。しかしベースにするプログラムがAndroidということは、以前までのように隔絶された状態よりも外部との親和性も高まりそうだなと管理人は考えています。もしかしたら、ガラスマを取り入れる国が他にも出てくるかもしれません。もしそれが受け入れられてより良いものを世界中が生み出すきっかけになるのだとしたら、成熟したと思っていた携帯市場はまだまだ発展段階だったんだということになります。

栄枯盛衰

何もこれは携帯だけに限ったことではありません。あらゆる市場は栄枯盛衰を繰り返し、その度により良いものへと進化していっています。
とりわけ管理人は「ブラウザ」に関して敏感なので、シェアに関することや開発が中止になったり開始されたり、新たな使い道が生み出されたりとめまぐるしい変化が起こっており、ある種のガラパゴス化はブラウザ業界でも起きています。ですが、長くなりますのでこのあたりは日を改めて綴ろうと思います。

「弱肉強食、強いものが残り弱いものは滅びる」というのは世の常なのかもしれませんが、絶滅の危機に瀕するものの中には失ってはならない価値があり、その価値のために色んな戦い方をする人たちの存在を忘れてはなりません。

WEB業界の流れは凄まじく、あっという間に技術には賞味期限が来てしまいます。管理人もこの事を肝に銘じ、常に高い感度を持ちながらこのサイトのテーマでもある「自由」を模索していきたいと思います。