朝日を拝むとき1「欠勤」

西田哲太は、ただ茫然と窓の向こうの景色を見ていた。

リビングでは、携帯電話が鳴り続けている。初めは無視し続けるつもりだったが、あまりにも喧しく哲太を呼び続けるものだから、荒く濁った声を出して立ち上がり、電話を取った。

「・・・お疲れ様です。係長、メール見てないんですか。今日も体調不良だから休みます。そんじゃ」

一方的に言って、電話を切る。しかし切った途端、また呼び出し音が哲太を責め立てた。どうやら彼の上司は、静かにしてくれとはっきり言わないと伝わらないらしい。

「係長、俺具合悪いんで、もう電話掛けてこないで貰えますか。用があったらこっちが掛けさせてもらいますんで」

電話の向こうで、溜息が聞こえた。しかし深いものではなく、軽く鼻で笑うような感じだ。係長は、少々若手社員が反抗した所で手を焼くような人物ではない。

「・・・具合が悪くて死んじまいそうか、ええ?哲太よ」
「・・・ええ、今にもブっ倒れそうですよ。この電話切ったら救急車でも呼ぼうかと考えてます」
「けっ、元気そうじゃねえか。仮病って噂は本当みてーだな。お前が休むことで周りの同僚にどれだけ迷惑掛けてるか知ってるか?」
「その分、今月は月初から目標達成してるんで。やる事はきっちりやってるんで問題ありません」
「お前なぁ、そんな事したらまーたウチの部署のノルマが上がっちまうじゃねえか。ちょっとは加減しろよ全く。ま、ガキだからしょうがねえか」

哲太は、この上司が嫌いだった。
竹中陽平。いつも人を見下し、出る杭は打つ。結果を出しても出さなくても、何かしら文句をつけてくる営業部の係長。
自堕落で自分は何もしない。キビキビと仕事を進めるお局さんのほうが余程マシだと感じるほど醜悪な中年オヤジ。

しかし物事の本質を見る目は確かで、いつも見事に射抜くような言葉を浴びせてくるのだ。

「まぁいいや、それよりもお前。今日は暇か?」
「・・・暇ですけど、それが何か」
「22時からクライアントのビルで配線工事が一件入っててな。それまでの間、ちょっと呑みでも付き合えや」

竹中の案件を手伝わないことを条件に、哲太は駅近くの居酒屋で落ち合うことにした。

「お疲れ様です」
「おう」

短い挨拶のあと、竹中は居酒屋の戸を開ける。哲太も、続いて店の中に入った。

カウンター席に並んで座り、熱いおしぼりで竹中は顔を拭く。そして目に押し当てた。

「熱いおしぼりは、眼精疲労を和らげる効果があるらしい」
「そうなんですか」
「おう、お前もやってみろ」
「いや、俺は別にいいです。飲み物は何にしますか?」
「生」
「係長、アルコールは・・・」
「いいんだよ、配線工事は口実さ。お前と直接会って話がしたかった」
「は?」

注文を済ませたあと、竹中は背もたれに思い切り体を預けて天井を見上げる。

「別に、ガミガミ怒ろうって気は無いんだわ。むしろ今はお前に同情してる」
「・・・」
「根に持ってるんだろ、堀部のこと」

堀部奏汰。
哲太の同僚で、職種は開発部のプログラマーだった。営業畑出身の哲太には彼がパソコンにどんな言語を記述して、どんな命令をしていたのかよく分からなかった。

だが奏汰は気さくで、よく笑顔を浮かべながら自分が作ったプログラムの自慢話をしてきた。気がつけば、彼の言うとおりにするだけで哲太のデスクワークの負担は半分になっていた。

奏汰は天才だ。正しくは、天才「だった」。

「どう考えても無茶な日程だった。それは俺の目にも、お前の目にも明らかだった」
「・・・」

はじめは、クライアントの要望だった。本来半年後にようなく納品できるシステムを、わずか半月足らずで作れという無茶苦茶な要望。

代わりに、利益は本来の三倍額だった。
しかし目先の利益の代償はあまりに大きく、それは堀部の首を致死量にまで締め上げ、彼は帰らぬ人となる。

「人手が足りない開発チームは3日間、不眠不休。案件は掛け持ち。少しでも遅れたら、クライアントからも上層部からもクレームの嵐。人権もなにもあったもんじゃねえ。けどな、それが会社の方針だったら俺たちはどうすればいい!」

竹中がビールを一口飲んで、乱暴にテーブルに置く。ほとんど叩きつけているようだった。その様子を責める事も宥めることもせず、ただ静かに哲太は静観する。

「わかるんだぜ。お前がこんな会社になんか愛想尽かしてることくらいな。大人しく言う事聞いてたら、堀部みたいになっちまう。こう考えてるやつは何もお前一人じゃねえ。だがよ、その後どうする?」
「・・・」

哲太は沈黙する。考えていない訳ではなかった。このまま辞表を叩きつけて、退職したらそれから求人サイトへ登録し、自分のスキルが生かせそうな会社を探して転職。多くの友人がやっていることだ。その転職先が、希望通りの企業になるとは限らないが。

「哲太、このままウチの会社で成長すれば、お前は中堅になり新人たちの育成を任せる事になるだろう。もう少し経てば、今の俺の係長のイスに座る。そうなれば待遇もグッと良くなる。
お前は飲み込みが早いし応用力もある有能な社員だ。ちゃんと出世街道がある」

竹中が、これだけ哲太のことを持ち上げたことは一度も無かった。怒るまではないにせよ、いつも嫌味ばかりを言われていた。やはり呼びもどそうというのか。同僚が無惨にも倒れた地獄へと。

「・・・だがよ、そういえば俺は意地悪な上司だったな?ええ、哲太?」

声色が、変わった。いや、いつもの皮肉ったらしい竹中に戻った。

「簡単には係長のイスは譲らない。そう仰りたいのですか?」
「逆だ。お前がこのまま大人しく会社に戻ったらすぐにでも人事部と交渉して出世させてやる」
「はぁ?」
「だが、そんな事よりも面白いプロジェクトがある。どっちかというと、俺はそちらを推したい」
「・・・」
「悪いな、俺は困った部下の顔を見るのが大好きなんだ」

一気に哲太の顔が強張る。
どちらが正解ともつかぬ二択を迫るとき、竹中の口元は吊り上がる。
奏汰を偲ぶ心は本当はこの男にはないのだろう。そう思うと、哲太の目はより険しいものに変わった。

「いい顔になってきたじゃねえか、哲太」
「プロジェクトとは?」
「・・・実はな」

竹中が話を続けようとしたその時だった。

「あれ?竹中さん、もう着いてたんですか!すいません、遅くなっちゃいまして・・・」

メガネをかけた、細い金髪の男が店の中へ入ってきた。
顔は童顔で、腰は低いがどこか貫禄がある。二十代中盤か、もしくは三十代かもしれない。

「いや、ドンピシャだ。これからお前が興す事業計画について哲太に説明するところだったからな」
「良かったぁ、彼が哲太君ですか?」

男は、哲太の前にやってきて名刺を渡す。

「初めまして、僕はタカノエクスペリエンス代表の鷹野健一。竹中さんとは古い付き合いでね。彼には昔よくお世話になったんだ」

鷹野は、哲太の隣に座る。その向かい側に竹中がおり、哲太は間に挟まれる形だ。

「いやー、変わりませんね竹中さん。大事な話をするときは、いつもカウンター席を選んでる。対面で話をすると相手を緊張させちゃうからこうしてるんでしょ?」
「たまたま他の席で一杯だっただけさ。・・・ところで飲み物、何がいい?」
「うーん、そしたらメロンソーダで」

竹中が席を立つ。

「悪い、数分席をあけるわ。一件連絡しなきゃいけないクライアントがあったんだ。鷹野、ちょっと哲太に事業の説明をしてやれ」

こうして、カウンター席には鷹野と哲太だけが残る形となる。

「単刀直入に言うよ。これはヘッドハンティングだ」
「・・・なんとなくそんな気はしていました」
「そうかい、どこでそう思った?」
「このまま会社に残るか、それとも・・・そんな話をしている矢先だったからです。俺は、竹中さんに肩を撫でられてるんですかね?」
「そんなことはないと思うよ。竹中さん曰く君は優秀な若手社員らしい。勤務態度は良くないみたいだけどね」
「仮病で3日休んだだけですよ」
「3日も?やるねえ。そんなに休んだら事務所内が大変だろう」
「そんなことでグラつく会社だったら、それこそ居る意味ないんで」
「そうかい。だけど僕が今歩いているのは吹きざらしの荒野だ。風を受ければあっという間に倒れるような事業規模。 保証も何もない。
・・・竹中さん、言ってたろう?僕の事業が面白いプロジェクトだって。あれは、危険っていう意味だ」
「・・・分からないですね。竹中さんは会社に戻ってほしいのか、辞めてほしいのか」
「そうじゃないよ、哲太くん。自分の人生を決めるのは自分だ」

メロンソーダを一口飲み、鷹野は神妙な顔つきになる。

「相手の思い通りになろうだなんて、考えちゃいけない。そんな事をして報われるのは、学校で勉強している時くらいだ。学力が上がればそれでOKだからね。
でも、社会に出た途端それは急に危うくなる。最近の厚生労働省の調査では、新卒社会人の退職率は30%以上らしい。100人居れば30人。調査対象をブラック企業に絞ればもっと大勢になるだろう。
原因はなんだろうね?」
「自分の力で生活していくのが社会人だからですか?」
「それも正解の一つ。でもそれだけじゃない。すべては環境のせいだ」
「・・・環境のせい?」
「人のせいにするなって言いたそうだね?でも、まさに原因自分論が若者たちの可能性を狭めているんだよ。
ちなみに僕のビジネスで起こそうと思っている事のひとつに破壊的イノベーションというものがある」
「破壊的イノベーション?」

哲太にとって、それは聞き慣れない単語だった。

「フィルムカメラはデジタルカメラに。固定電話は携帯電話に。オフィスコンピュータはパーソナルコンピュータに立場を奪われた。乗り物だってそうだ。かつてどの国でも移動手段に使われていた馬は、自動車に立場を奪われた。このように、新しいものが市場参戦することで古いものが立場を奪われてしまう様を破壊的イノベーションというんだ。
そしてモノの価値は絶えず目まぐるしく変化している。事業立ち上げ当初は他を寄せ付けない製品やサービスを提供できたとしても、それが長く続くとは限らない。必ず別のライバル業者が台頭してきて価格競争に巻き込まれるだろう。
そうなれば当然、クライアントからは今以上の条件が求められる。それでも、クライアントの要望に答えないと満足に会社は給料も払えなくなっていく。じゃあ真っ先に首が締めあげられるのは誰だろうね?」
「・・・・・・」

答えは明白だった。真っ先に締め上げられるのは現場で身を粉にして働く末端社員だからだ。
従業員は固定給でいくらでも使い放題。客からも上司からもまるで奴隷のような扱いを受け、期待に答えなければ人格まで否定されて、多くの従業員は疲れ果てて自主都合退社を申し出る。
それならばまだ良い。哲太の頭には奏汰の姿が浮かんでいた。彼は人一倍、期待に答える男だし、それだけの技量も持っていた。だから、哲太はきっと彼なら開発部を底上げしてくれると思っていた。

しかし、奏汰を待ち受けていたのは残酷な死だった。

「話を破壊的イノベーションに戻そうか。君の会社、吉嶋エンジニアリングはシステム開発がメインの会社だ。それなりの実績を上げているけど、同じ業者は山ほど居る。これから生き残る為にどうすべきかが問われている所だろう。対して、鷹野エクスペリエンスはクライアントの人材育成・組織改革を目的とした企業だ。
システム開発の目的も、人材育成の目的も、クライアントの企業のパフォーマンスを向上させること。
吉嶋エンジニアリングの顧客は、僕がもらう。
・・・とはいっても、具体的な手法がわからないようじゃ判断もできないだろう。そこで、鷹野エンジニアリングの製品やサービスの情報を、ここに入れておいた」

と、鷹野はバッグからUSBディスクを取り出した。

「きちんと説明してくれって顔をしているね。だけど、今説明しないのには理由があるんだ。
帰ってからそのディスクの中身を見てごらん。きっと君の気持ちも変わるだろう」

ディスクを渡すと、それからは特になにを注文することも無く鷹野はその場を去った。入れ違いに、竹中が戻ってくる。

「よう哲太。決意は固まったか?」
「いえ、まだ固まってません。とりあえず、このディスクに入ってる情報を見ろって言われました」
「そうか。じゃあそれからだな。そろそろ行くか」

店を出る。外は涼しい風が流れていた。

「哲太」
「はい」
「迷ったら、お前がいつもお客さんに伝えてきたことを思い出せよ」

そう言い残して竹中は夜の闇に消えていった。

↓続き

朝日を拝むとき(仮) 2

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